中嶋悠紀子がウイングフィールドの情報誌「ウイングホットプレス8月号」にコラムを寄稿しました。

https://wing-f.main.jp/WHP202608.jfif

ケアと演劇

「ケアと演劇」。この言葉が最近の関心事である。「ケア」という言葉の意味は広く、世話や配慮、気配りや手入れのような日常的な営みから、医療や看護、介護のような専門性を必要とするものまで様々だ。演劇にケアの可能性はあるだろうか。

三年前に出産をし、私も家庭の中で、こどものケアを担う一員となった。劇団の公演もいつも難産をしてしまうので、あれより辛いことはないだろうと思っていたが、特に産後はからだの不調や睡眠不足も重なり、私も例外なく気持ちが落ちてしまった。常に目の前にもやがかかったような状態で、こどもの泣き声が、泣いていた自分の過去と重なることもあった。しかし、そんな時に限って、自分の状況を言葉にできないし、俯瞰してみることもできない。なぜか「助けてほしい」と言えないのである。

でもあの頃は、私だってケアを必要としていた。

その後、助産師さんや地域の保健師さん、子育て支援の力を借りながら、次第に育児に不可欠なオバちゃん特有の図々しさも備わって(え、元からだって?)、さあこれからどうしようかと考えたときに、手元に残っていたのは、これまでに積み重ねてきた演劇の経験だけだった。

すると、以前とは全く違う世界の見え方があることにふと気づく。

自分だけが主役の人生ではなくなったのだ。こどもたちにどんな未来を生きてほしいと願うのか。過去の先人たちから受け取ったバトンを、次世代にどう渡していくのか。「それを演劇で考えるんですよ」と、言われているような気がした。

残念ながら演劇は万能ではなく、病を直接治療して、寿命を延ばすことはできない。貧困や戦争を終わらせることもできない。だれかの人生を代わって生きることもできない。演劇は「解決」が不得手だ。

しかし、演劇には「応じる」ことができる。演技は相手を受け止め、応じることの繰り返しだ。その往復から物語が立ち上がる。ケアもまた、「私のことをわかって欲しい」という願いから始まるのではないか。その願いに誰かが「応じる」ことで、ケアは成立する。だとすれば、言葉で言い表せない痛みや、苦しみや悲しみ、複雑な感情を掬い出し、応じ、他者に手渡すことができる演劇も、ケアの一端を担うことはできないだろうか。そして、からだ全身で応じる演劇は、SNSの「いいね!」では置き換えられない。

ケアを必要としているのは、こどもや高齢者、障がい者に限らないだろう。私も、あなたも、誰かのケアをしている人も、場所が変わればケアを必要とするひとりの人間かもしれない。そんな想像力を働かせながら、一方通行のケアのかたちではなく、双方向のケアが成り立つ社会の在り方を模索し、そのために私は何を差し出せるのかを考えている。

さて、劇団も今年で20年を迎える。今回は産後ケアと足湯を舞台に描く。登場人物はフィクションである。しかし、これまでに出会った人が私をこの作品に向かわせてくれた。作品のために誰かとつながろうとするのではなく、誰かとつながり、関わった先に作品が立ち上がるのだ。そんな演劇の在り方に、20年かけてようやくたどり着いた。

 

中嶋悠紀子

劇作家・演出家・俳優 プラズマみかん主宰/国境なき劇団